自ら考え、判断し、心豊かに行動できる子どもの育成

福山市立湯田小学校

Tel:084-962-0257〒720-2123 福山市神辺町川北1113番地 1
MAIL:shou-yuda@manabi.city.fukuyama.hiroshima.jp

学校紹介

湯田小学校と青い目の人形について


 湯田小学校には2体の「青い目の人形」がいます。
名前はメアリーナターシャです。
ふだんは2体とも校長室のガラスケースに仲良く入っていますが、一年生を迎える入学式、六年生を送る卒業式など、 学校の主な行事ではいつも湯田小の子どもたちと同じ場所で同じ時間を過ごしていきます。

 なぜ、湯田小学校には青い目の人形があるのでしょうか。
それにはこんな話があるのです。

 1927年、アメリカのギューリック博士はこう言いました。
「アメリカと日本がこれからも仲良くしていくために日本へ人形を送ろう。」
博士の提案で日本には約12,000の青い目の人形が送られて来ました。
そのうち広島県には326体の人形が幼稚園や小学校へ送られ、盛大に歓迎会が開かれました。
メアリーも湯田小学校にやってきました。
湯田小の子どもたちはとても喜び、青い目の人形といつも仲良く遊んでいました。


 ところが、1941年、日本とアメリカとの間で戦争が始まりました。
戦争が始まると、
「青い目の人形は敵国の人形だ!」
「敵の国の人形などこわしてしまえ!」
と言って次々に人形は焼かれ、こわされていきました。
アメリカと日本の友好の印としてやってきた人形たちは悲しい運命にまきこまれていってしまったのです。


 戦争が終わり、7年がすぎました。
このころにはもうだれも青い目の人形のことなどすっかり忘れていました。
しかし、1952年のことです。学校清掃で集まった保護者の方が校長室を整理していました。
すると棚の奥から何やら古ぼけた人形が姿をあらわしました。


「この人形は何だろう、ずいぶん古い人形だから処分しようか」と何人かの人が集まって話していました。
そこへ偶然通りかかった藤田さんはその人形を見てびっくりしました。


「・・・それはメアリーです。私が子どものころ湯田小にやってきた青い目の人形です。」
何ということでしょう。そのほとんどがこわされてしまったという青い目の人形のうち、
メアリーはこっそり学校の奥にかくされたまま終戦を迎えていたのです。


「処分するくらいなら私がもらいます。そしていつまでも大切に保管します。」
と言われた藤田さんは子どものころの楽しかった思い出を思い浮かべながらメアリーを大切に保管されました。


 その後、湯田小以外の小学校でも「青い目の人形が発見される。」というニュースが広島県で広がりました。
そのことをきっかけにして、1993年、実に66年ぶりに青い目の人形は湯田小で再び子どもたちから歓迎されました。
また,その翌年の1994年,ギューリック博士の孫にあたるギューリック三世より,永遠の平和と友好の証としてナターシャが湯田小に送られました。


 それ以来湯田小では青い目の人形といっしょに平和や命の尊さを考え、感じる日々を送っています。
湯田小学校の校長室にいつも仲良くならんでいる2体の人形にはそんな出来事があったのです。