八日谷と横倉(ようかだにとよこくら) |
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山南川の上流,入り組んだ谷合いに八日谷と横倉の地区がある。 |
通盛神社(みちもりじんじゃ) |
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横倉の万力(まんりき),木々に囲まれひっそりしたところに通盛神社がまつられている。 この神社は,「平家の宮」とも呼ばれ,平通盛(たいらのみちもり)夫妻をまつっている。 社伝によると,建久3年(1192年)の創建とされている。美しいかざりをほどこした欅(けやき)造りの本殿には,平通盛と妻・小宰相の礼服姿の木像がまつられている。 この谷の人々は,平家の子孫といわれ,毎年この神社で祭りを続けている。この祭りは,旧暦8月13日に行われ,この日には平家のたましいがやどるという「ヘイケガニ」が能登原や草深の海岸から,山をこえて通盛のたましいにおまいりしにくるという。 ある日のこと,通盛の足にヒイル(ヒル)がくらいついた。通盛はヒイルをつまみ,「今は落人となっているが,なんじごときにあなどられないぞ」といって口を切り捨てた。それからというもの,この谷のヒイルは人の血を吸わなくなったという。 |
通盛が植えた一本松のあと |
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この神社は,約200メートルほど南(今の花しょうぶ園の近く)にあったが,江戸時代に今の場所に移され,むかし神社のあった場所は「古宮」と呼ばれ,通盛が植えたと伝えられる「一本松」もあった。しかし,今はこの「一本松」はかれてしまった。 |
福泉坊(ふくせんぼう) |
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![]() 平通盛 平清盛の弟教盛(のりもり)の長男で,久安5,6年(1150年)ころ生まれたとされている。能登守教経は弟。 小宰相の局 藤原則方の娘で,鳥羽天皇の皇女でのちの上西門院に仕えていた。禁中(宮中)一の美女といわれていた。 |
赤幡神社(あかはたじんじゃ) |
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横倉の林に赤幡神社がまつられている。 |
鐙が峠(あぶみがたお) |
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横倉から福山市熊野町の上ノ原へ通じる道に「鐙が峠」(あぶみがたお)がある。 |
(参考:沼隈町誌)